7月25日

祖母の書の教室に同行して撮影。豊島園から聖蹟桜ヶ丘までの大移動。祖母は僕と丁度60歳の差がある。つまり84歳。最近はステッキを携帯している。この歳で現役で教えているのはすごいことだ。30年以上続いている教室は、緊張感の中にも打解けた、よい雰囲気がある。

この映像は、9月の「ぼくの」個展の素材となる。
84年と、数千年の書の歴史と、一枚の作品を書く数分間 を、ひとつのものとして圧縮して展示したい。

(それとは別で、祖母のシリーズはゆくゆくは最終的に一本の映画にしたいなと思う)

7/14

1.ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読み始めた。何人かの方々に薦められるので。面白い。引用/借用の幅と精度がすごい。

2.アルティメットMCバトル栃木予選に出場した。悔しくも1回戦で敗退した。優勝はマツモトakaマッチャンという地元のラッパー。決勝戦での彼のラップは、地元の仲間への想いが籠もっていて、ちょっと目頭が熱くなった。正直いってスキルは対戦相手の方が勝っていたと思うが、マツモトさんの想いが地元有利とかそういうレベルを超えて会場に伝わったのだと思う。

誰か見ててくれないか

↑(このウェブのトップ画像の文字)っていうのは、僕が一番好きな歌手の奥田民男『CUSTOM』

からの引用です。

昨晩は昔の同級生の画家、小林あずささんの個展でパフォーマンスをやらせていただきました。40人くらいの方にみてもらい、自分としても納得のいく完成度に達したと思うので、ひとまずはいい気分で酒を呑みました。で、酔っ払って帰ってきて翌日です。するとやはり、不安というものも首をもたげてくるわけですね、ジョジョ4部の岸部露伴も仕事を終えた後の心境について似たようなことを言っておりましたね。

昨日終演後に、9月の展示の簡易チラシを配りました。すべては、「誰か見ててくれないか」っていう気持ちから発しています。パフォーマーはみんなそうだと思います。そして、時間はない。

時間というものをうまく使うためには、「もうあとこれしかない」という考え方と「まだあとこれだけある」という考え方、両方を頭の中に同居させることが必要なのだろう、と最近は思っている。

なんだか話が散漫になってしまったが、頭の中っていうのは散漫としています。
(それが僕の場合は、人とあったりパフォーマンスをしている時間だけ、クリアリィに晴れ渡るような気がします。たとえると、鉄の中の分子が磁石を近づけたときだけ同じ方向を向く現象に近いでしょうか)

まったく要領を得ない駄文かもしれない。

セルフィッシュに、強く生きたいな、と思う今日このごろ。「稽古は強くあれ」これは世阿弥の言葉です。

最近日本語ラップの現場に顔をだしている

このブログをどれくらいの人が読んでくれてるのかそんなにわからないけど。
今日も今日で実りある一日でした。
6日の小林さん個展パフォーマンスのシミュレーションをして、割とタイトにランニング&筋トレしてそのあと、渋谷のスタジオサイファー&MCバトルに顔を出しました。
hiphopでは「バイブス」っていう言葉があるんですけど(なんていうかな、リズム感っていうか、その奥の生き様から生まれてくるようなリズム感・雰囲気)みんなね、「バイブス」が高いの。
俺より幾つも年が下のひとたちが。なんかもう、まけていられねえ、的な。気持ちになりました。貴重なことだと思う。まあ、路上とか、さ、まじで面白いと思うわけです。それを、うまく自分の活動にコミットできたらいいなと、芯から思ってる。最近は。

プライストウという

ポストジャズのバンドの演奏を聴きにいった。ものすごくよかった。7/6に行うパフォーマンスをぼんやり考えている、そのヒントにすごくなった。
今は翌朝で、神話論理を読んでいる。火の主ジャガーと火の主コンドルはどう違うかというところ。とてもとても面白い。